スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』

 

2020年の冬に映画館の回数券を買った友達が、翌年の秋になって、期限までにチケットを使いきれないと言って、ドイツに着いたばかりの私を何度も映画館に招待してくれた。

ギュンター・グラスの博士論文を何とか進めようと、日々、ステイホームの孤独と戦っていた友達の回数券は、有効期限まで残り2ヶ月しかない10月の時点で、まだ9枚も手元に残っていた。

外国の映画もドイツ語吹替えが主流のヴッパタールの映画館で、私たちは何を観たいかというより、何ならオリジナルの言語で観れるかという基準で、次から次へと映画を選んだ。たくさん観た映画の中で、最後に彼女と観たのが、スティーブン・スピルバーグのリメイク版『ウエスト・サイド・ストーリー』であった。

映画は、さすがはスティーブン・スピルバーグという感じで、ニュージャージ州の郊外に50年代のニューヨークを再現する大掛かりなセットを作ったり、全編がフィルム撮影されていたり、プロとして踊れる俳優を揃えていたり、どこをとっても彼以外ではなかなかここまでさせてもらえないのではと思わせる豪華な映画だった。

ダンス好きの私としては、今にも、闘争になってしまうのではないかとヒヤヒヤしながらも、暴力のエネルギーと切迫だけがダンスとして残っている1961年版の冒頭がやはり恋しく感じたし、大衆性が一番に求められるミュージカルのダンスで、可能な限り前衛に挑戦したジェローム・ロビンスの振付に感じられる「ダンスの旨味」が今作で薄まってしまっている点はどうしても惜しく感じられた。それでもオーケストラ編成のレナード・バーンスタインの曲をよりいっそう華やかに仕上げるアクロバットなカメラの動きや、他に適任がいないと思えるようなキャストの配役もあって、映画館を出て外の空気を吸った時には劇場に行った時のような満足感が得られていた。

50年代のニューヨークを舞台にしながらも、分かり易く、私たちが生きる社会へ問題提起をするスタイルは、これぞアメリカの映画という感じで、普段、昔の映画やヨーロッパの映画ばかり見ている私には新鮮にうつった。2度、3度と観ていると、キャストの人種から、劇中に登場する台詞、セットに映る文字、新しい設定に至る細部の全てが、歴史的事実と誤りがないか慎重に検討されたことも伝わってきた。作品全体に細かい配慮が配られていることに気付いてからは、スピルバーグのような世界中に影響を与える映画監督にもなると、映画を通して自分が持ちうる力に無垢ではいられない、そんな監督としての自覚も一緒に感じられるようになった。小さな配慮の1つ1つは、とても1人でする作業量ではなくて、物語の後に、いつまでも終わりのこないエンドロールを眺めても納得の出来であった。 


ミュージカルでありながら、リアルであることにこだわれた今作


先に触れた通り、今回のウエスト・サイド・ストーリーはリメイクである。そもそもウエスト・サイド・ストーリーは、1957年にブロードウェイで初演が行われた舞台作品だ。初演時から高い注目を集め、高評価で迎えられた作品であったが、4年後の映画版『ウエストサイド物語』(1961)はそれ以上の賛辞を得て、今日に至るまで世界中にファンを持つミュージカル映画の金字塔として知られる。

1961年の映画と比較した上で、今回の『ウエスト・サイド・ストーリー』の1番の功績を上げるとすれば、リアルであることにこだわった点ではないだろうか。スピルバーグのウエスト・サイド・ストーリーは、物語に現実味が出るよう、登場人物1人ずつに時代検証に基づいた背景の物語を与えている。この舞台裏の設定を、台詞や画面の隅々で感じられることでミュージカル映画に見慣れていない現代の観客も、違和感なく登場人物を受け入れ、物語に入っていくことができたと思う。

というのも、1930年代から1960年に作られたアメリカのミュージカル映画は、共感できる物語を持つことよりも、劇中に登場するダンスや音楽の個々のナンバーが魅力的であることが大事であった。当時のミュージカル映画をみると、物語は、観客が登場人物の心の動きに没頭させるほどの耐久性を持ち合わせておらず、1961年の『ウエスト・サイド物語』も各ダンスや音楽は魅力であるものの、ある特定の人物の心情に入り込めるほどの奥行きを持った物語ではなかったのではないだろうか。

もしスピルバーグがオリジナルの物語設定のままストーリーを進めていけば、現代の観客は、ダンスや歌を見せるために、または『ロミオとジュリエット』の下敷きに合わせるために、少し強引に物語が進んで行くような印象を受けたはずである。

今作がリアルでありえるのは、前作が十分にリアルではなかったことの裏返しとも言えるが、その点は当時の赤狩りの影響を考慮する必要がある。アメリカでは、1940年代後半から1950年代の終わり頃まで、共産主義者がハリウッド映画を通してプロパガンダを行なっているという批判の下に、多くの映画人が社会的に追放された。失業だけでは済まず、投獄された者、国外に亡命せざるを得ない状況に追い込まれたり、自殺に至った者も少なくなかった。反戦・平和主義をモットーに活動していたチャップリンもこの時期にヨーロッパに渡らざるを得なかったし、ウエスト・サイド・ストーリーの舞台版の振付と1961年の映画化で共同監督を務めているジェローム・ロビンスも、政府の立ち上げた非米活動委員会に呼び出され、脅されるままに、共産党に友好的だった人物の名前を言ってしまった。そのことは生涯非難され、彼の人生の影として残り続けた。

映画が公開された1961年は、マッカーシーによる赤狩りの恐怖からは既に解放された時期ではあったけれど、それまで指導者や形を変えながら、ぶり返すように続いた取り締まりがまだ何をきっかけに戻るか分からない時代であった。1961年版のウエストサイドストーリーで見え隠れする「人種差別」「貧困」「ジェンダー・マイノリティ」「移民」といったテーマを、あれ以上に深掘りさせることは、事実上困難であったはずだ。

そう考えても、よりリアルであることにこだわったスピルバーグ版は、現代の観客により馴染みやすく、かつ1956年の舞台、1961年の映画、それぞれのウエストサイドストーリーが望んでも出来なかった社会的なメッセージを添えるという試みに成功している。私にはこれが今作の一番の達成と思えた。 


オリジナル版への愛情と敬意


最後に、今作を見終えた時、どうしてスピルバーグはこの映画を改めて作ったんだろうと不思議に感じたことも付け加えておきたい。既に多くの人のクラシックとして定着しているウエスト・サイド・ストーリーを、わざわざ作り直す必要はなかったのではないだろうか、あの作品を超えようとリメイクを作るのは、いくらスピルバーグでも危うい試みではなかろうか、私は映画館を出てから、そんな風に感じていた。

しかし、そのあとでスピルバーグもウエスト・サイド・ストーリーの大ファンであったことを知った。もしかしたら、ウエスト・サイド・ストーリーが好きすぎて作品に携わらないわけにいかない、そんな風に感じていたかもしれない。実際にインタビューで、この作品だけは終わってほしくないと思うほどまでに楽しい仕事で、これほど映画作りが楽しいと感じたのは1981年にE.T.を作って以来と語っている。2021年の『ウエスト・サイド・ストーリー』は、愛情と敬意で出来た映画だと思ってもう一度みたら、しっくりして愛着を持てるようになった。

1940年代から1960年代はハリウッドのミュージカル映画の黄金時代と呼ばれる。1961年の『ウエスト・サイド物語』は、ちょうど黄金期の終わりに位置する映画である。この時代を振り返ると、ミュージカル映画の陽気さの裏側には、赤狩りの支配下で、表現の制限があり「芸術のための芸術」を追求する以外の選択肢がなかった時代も浮かび上がる。同時期をアメリカで過ごした哲学者ハンナ・アーレントも、この時代のアメリカの政治傾向を「裏返しの全体主義」と呼んでいた。

友人が使いきれなかった最後の回数券に、思いがけず、コロナ禍の楽しみを分けてもらって、これまでほとんど知らなかった20世紀中葉のアメリカのミュージカル映画やダンス、そして歴史についての知識を広げることができた。Hさんには、改めてありがとうを伝えたいなと思う。

 

 


 

参考文献

重木昭信『音楽劇の歴史』平凡社,2019

津野海太郎『ジェローム・ロビンスが死んだ: なぜ彼は密告者になったのか?』小学館文庫,2011

ロラン・ブーズロー『映画「ウエスト・サイド・ストーリー」スペシャルメイキングブック』久保田裕子訳.2022

日比野啓『アメリカン・ミュージカルとその時代』青土社,2020

ポール・マイヤーズ『叢書 20世紀の芸術と文学 レナードバーンスタイン』石原俊訳. アルファベータ, 2001

南部圭之助,関口英男『世界の映画作家 デヴィッド・リーン/ロバート・ワイズ 15』キネマ旬報社,1976

元来渉『踊る大ハリウッド: ケリー、アステアから考えるミュージカル映画の深化』幻冬舎,2021

スタンリー・グリーン『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』村林 典子訳. 音楽之友社,1995

陸井 三郎『ハリウッドとマッカーシズム(現代教養文庫 1592)』社会思想社,1996

ドイツ、ヴッパタール在住。法政大学、パリ第七大学にて映画学を専攻後、欧州連合主催のエラスムス•ムンドゥスプログラムに参加。フランスのトゥールーズ大学、チェコのプラハ・カレル大学、ドイツのベルグ大学ヴッパタールにて近代哲学を学ぶ。論文『映画と承認:解放者としての第七芸術の可能性』で修士号を取得。学業の傍ら、ピナ•バウシュの作品に心を奪われ、そのままタンツテアターの拠点地であるヴッパタールに住み着く。趣味はピナ•バウシュの作品を探求すること、料理、パスタを食べること、ほのぼのした動物の絵を描くこと。のんびりした性格です。