『欲望という名の電車』という1951年の映画がある。主人公のブランチが、ある事情を抱えて妹のすむ街に汽車で到着するところから始まる。日が暮れたあとに、煙に包まれた駅に着き、そこからタイトルの通り「欲望」という妙な名前の路面電車に乗って妹の家を探すのだが、街は薄汚く、なんとなく嫌な感じのする場所である。
この駅の感じは、私が初めてヴッパタールに着いたときのことを思わせる。今でこそ5年がかりの改修工事が終わって、普通の街のようなこぎれいな装いになっているけど、最初に着いた時は、本当に変なところだった。プラハ駅から乗った夜行列車が朝の5時にヴッパタールに着いた時、辺りはまだ夜の暗さで、プラットホームはあの映画のように煙に包まれていた。分かりにくい駅の出口に通じる路地は、もうすぐ朝になろうとしているのに、帰る場所のない人たちがお酒を持って休んでいて、ちょうどそのあたりの排水溝から、いつも謎の湯気が出ていた。その湯気が、舞台装置のように駅の雰囲気をつくって、あの映画の冒頭を思わせた。
私はそのまま「シュベベバーン」という名のヴッパタール名物の吊り電車に10分乗って、その時間帯に町でただ1つ開いているお店、マクドナルドに入った。古い映画館の建物を改装したこの店舗には、チケット売り場を連想させる縦長の出窓があり、店内もシアターに入る前のロビーを想像させる半円の形をしている。店の奥に、かつてのシアターがあるのだが、実はその部屋こそ、ピナ・バウシュが全ての作品を産んだ有名な稽古場の「リヒトブルグ」であった。ピナ・バウシュがようやく「タンツテアター」で自分のスタイルを確立しはじめた頃、ドイツのあちこちから芸術監督のオファーが出る中で、ようやく団員の願いを聞き入れたヴッパタール市が提供したのが、この稽古場であった。
「リヒトブルグ」で稽古をする様子を捉えた写真はたくさん残っているが、たしかにピナ・バウシュたちの手元にはよくマクドナルドの紙コップに入ったコーヒーがあった。昔から、ピナ・バウシュの稽古場が古い映画館だったということや、マクドナルドと薄い板で仕切っただけの稽古場をブッパタール市が舞踊団に与えたという文章を読んでいたのに、それがブッパタールで最初に訪れたあの場所だと繋がるまでに6年も要った。
それにしても私のヴッパタール滞在が、ブランチのような変なものにはならなくて本当によかった。